2011年9月29日木曜日

テクノロジーを感じる

新しいKindleが発表された。デザインを一新してキーボードのなくなったKindle、タッチパネルを搭載したKindle Touch、そしてAndroid搭載のKindle Fire。

今回の発表の目玉はやっぱりKindle Fireだ。Android搭載Kindleはずっと噂されていたわけだが、まず、とにかく安い。iPadなんかよりもずっと安い。

そして、コンテンツ。これまでのKindle事業でAmazonのコンテンツは十分だ。加えて、映像や音楽もやるという。Amazonは、Kindle Fireという端末を通して、あらゆるコンテンツを供給しようとしている。

さらに、Kindle Fireに搭載されるブラウザとして発表されたAmazon Silk。これまでブラウザ側で行っていた処理をクラウド上で行って、ブラウザに送信するという仕掛けになっているらしい。これで、Amazonのクラウド事業とKindle事業がひとつにつながったわけだ。

今回の発表で私が感じたこと、それはAmazonはテクノロジー企業だということ。ただのネット本屋ではない。私のような技術屋は、製品やサービスそれ自体ではなく、その後ろにあるテクノロジーを見てニヤニヤしてしまう。逆に言うと、Amazonは、そういう後ろ側のテクノロジーをさりげなく見せてくる。

これは、AppleやGoogleについても言えることだ。彼らも、自分たちがテクノロジー企業だということを自覚している。彼らの製品やサービスにはテクノロジーを感じる。テクノロジーは、彼らのアイデンティティの一部なのだ。

一方、最近の日本企業はといえば、少なくとも私はニヤニヤできていない。ゲーム業界なんかでは素晴らしい製品があるのかもしれないが、ゲームをやらなくなって久しい私にはよくわからない。少なくとも、3DSにテクノロジーを感じることはできなかった。ゲームで3Dというのは、昔ながらのアイディアである。

日本が世界に誇る工業製品といえば、自動車がそうだろう。日本は、EVやHVではかなり先行している。日本のEV、HVの需要は、世界市場の半分を占めるという。HVなどは、市場に投入されてからかなり時間も経っており、多くのオーナーたちがHVのあまりの燃費のよさに感動していることだろう。

しかし、私は日本のEVやHVにはテクノロジーを感じることができない。なぜか?

日本の自動車会社はうまくやりすぎたのだ。彼らは、従来の自動車を置き換えるものとしてEVやHVを設計してしまった。それも、誰にも気づかれないよう、こっそり置き換えてしまった。背後にあるテクノロジーを、製品の中に隠蔽してしまった。

どちらがよいとは一概に言うことはできない。Amazonのようにテクノロジーを感じさせる製品やサービスを作るか、あるいは日本の自動車会社のようにテクノロジーを製品の中に隠蔽してしまうか。

少なくとも私は、Amazonのようにテクノロジーを感じさせてくれる製品が好きだ。だから、きっとKindle Fireは買ってしまうだろう。日本語コンテンツが充実すれば、の話ではあるが。

2011年9月25日日曜日

いつまでもよしおかさんでいいのか?

そう言えば、最近カーネル読書会がない。単にスピーカが見つからないだけなのか、会場の手配が難しいのか、それともよしおかさんがやる気を失ってしまったのか。

カーネル読書会といえばよしおかさん、勉強会といえばよしおかさん。確かによしおかさんはキーパーソンなのだけれど、ちょっとよしおかさんに頼りすぎているかなと思う。何となく、「そのうちよしおかさんが動いてくれる」という空気がある。

私も社内勉強会をやっているけれど、ちょうど私がよしおかさんみたいなポジションになっている。声をかければみんな集まってくれるのだけれど、私が動かないと何もしてくれない。私が社内勉強会の発案者なのだし、積極的に動いていきたいと思っているけれど、たまに悲しくなる時がある。

よしおかさんも、カーネル読書会をやっていて、たまに悲しくなる時があるのではないだろうか? よしおかさんももういい歳なんだし、会場の手配からピザの注文から何からお任せする段階は過ぎたのではないだろうか? そろそろよしおかさんに感化された次の世代が育ってもいいころでは?

と言うと、「じゃあ、お前がやれ」という話になるのだが…。実際、自分がやると考えると、ひとつだけクリアできない問題が。どうやってスピーカを探すか、だ。よしおかさんはどうやって探してきていたのだろう?

例えば、Shibuya.lispでは、その道の有名人にメールで突撃するというのをやっている。結構快く引き受けてもらえる。しかし、これは相手がどこで何をやっているか(あるいは過去に何をやったか)がわかっているからできること。

カーネル読書会みたいに、カーネルやオープンソース全般ということになると、そもそも、どこで、どういう人が、どういうことをやっているかがわからない。だから、結局よしおかさんみたいな人に頼ることになる。

ということで、私としては、どんどん外に出て行って人脈を広げることから始めようかな。

2011年9月22日木曜日

日本は日本は

先の震災の影響もあるし、また不況や円高のせいもあるだろうけれど、「日本はこれからどうすればいいか?」とか「このままでは日本は新興国に負けてしまう」みたいな一種の焦りのようなフレーズをよく目にする。新聞でも見るし、雑誌の表紙にも並んでたりする。

こういう日本は日本はという論調には、少し違和感を感じる。どうも日本は日本は論者は、「日本経済」というものを孤立した系として捉えすぎているようだ。

もうだいぶ前から、世界はグローバル経済になっていると言われている。グローバル経済とは何だろうか? 例えば、日本経済、アメリカ経済、中国経済などという各国の独立経済があり、これらがつながってグローバル経済が形成されているという捉え方もできる。

しかし、世界にはひとつのグローバル経済なるものがあって、どこまでが日本経済、どこまでがアメリカ経済などと分離することはできないという捉え方もできて、私はこっちのほうが現状のように感じる。

例えばAppleを考える。Appleはアメリカ国内には製造工場は持っていない。台湾にアウトソースし、世界で販売している。では、アメリカAppleはアメリカ経済の一部であって、日本Appleは日本経済の一部なのか?


経済学的には、どこの国に税金を払っているか、どこの国の人々を雇用しているかという話があるのだろうけど、観念的には、Appleはどこの国の企業でもない。これをグローバル企業と呼ぶのだろう。

そして、グローバル企業によって形成される経済をグローバル経済と呼び、これが21世紀の新しい経済なのだろう。グローバル経済というのは、従来の各国の独立経済が単につながったものとは違う。そもそも、各国の独立経済などというものは存在しないのだ。

日本企業、とくに製造業は生き残りに必死である。日立はテレビの製造を辞めてしまった。一方で、トヨタは国内の製造工場は絶対に必要だと言っている。

でもこれって、国内とか国外とか分けて考える、つまり各国の独立経済を考えてしまうから難しくなってしまうのであって、そもそも日本経済なんてものは無い、あるのはグローバル経済ただひとつと考えれば、シンプルな解決策が見つかるのではないのかなと思う。

結論が出たところで、「じゃあ、結局日本はこれからどうすればよいの?」と考えてしまうと、また独立経済のパラダイムに戻ってしまって、話は無限ループしてしまうのである。経済学って難しい。

2011年9月12日月曜日

キャリアについて悩む

このところキャリアについて悩んでいる。と言っても、キャリアアップして年収1000万とかそいういうものではなく、単に「最近やりたいことできてないなぁ」とい程度のことだ。

日本は本当に豊かになってしまって、人々が仕事に求めるものが「経済」ではなくなってしまった。では、人々は仕事に何を求めるかというと、それは、「やりがい」とか「楽しさ」だと思う。

いわゆるWeb系といわれている人たちを見ていると、彼らが簡単に会社を辞めていくのに驚かされる。早い人だと1年くらいで辞めていく。この間「転職しました」とか言ってたなと思ったら、もう次の会社へ行っている。

技術のコモディティ化というのはひとつの理由かもしれない。私は最新のWeb技術のことはまったくわからないのだが、でも、はてなとlivedoorだと使っている技術は同じようなものなのかなと想像はできる。

この点、我々組み込みの世界というのは、独自技術というのが多い。標準化も進んでいるのだが、それでも「VxWorksでPOSIX APIが使えます」という程度。この世界で会社を移るというのは、それだけ障壁が高い。

さて、私は入社6年目になるが、最近の仕事は「やりがい」もないし「楽しさ」もない。私はもともと低レイヤの開発をしたかったわけだが、会社(というか業界?)の方向性として、低レイヤはベンダーに任せ、アプリケーションレイヤの開発に注力するというのがある。そうすると、私としては、「最近やりたいことできてないなぁ」となる。

会社を移るかどうするか? 大体キャリアってなんだろう? 非常に悩むところである。

2011年9月1日木曜日

そろそろチャレンジしてもいいんじゃない?

エンジニアとしての生き方』という本を読んだ。おもしろくて一晩で読んでしまった。今の会社の仕事でいろいろ考えることもあって、なんとなく行き詰まりも感じているので、考えさせられる内容だった。

ウチの会社は、なにせ創業が大正時代という典型的日本企業、典型的終身雇用、典型的年功序列、その上お役人も天下ったりするのである。

今の会社には、新卒で入社してから5年半ほどお世話になっている。とても良い会社で、上司も同僚も良くしてくれる。給料も良い。が、不満もある。本当はガリガリ開発する仕事をしたいのだが、ウチの会社も例によって業界特有のITゼネコン体質なのだ。したがって、EmacsよりもWordとExcelがお友達なのである(ちなみに、最近私はEmacsからviに乗り換えた)。

そこで、私は一種のジレンマに陥ってしまう。今の会社の待遇には大満足で、経済的・物質的にはなんの不満もない。しかし、肝心のお仕事にはまったく満足していない。さて、どうするか?

ここで本書である。本書のテーマは、一言で言うと「若者よ、もっとチャレンジしなさい」ということだと思う。終身雇用なんてもう当てにならないのだし、だったら好きなこと・楽しいことを仕事にしたほうがいいではないか。

最近は私もドラッカーなど読むようになってきた。ドラッカーの言葉で、「知識労働者はボランティアと同じだ。知識社会においては仕事そのものが報酬となる」というようなことがどこかに書いてあったような気がする。

私もあと数ヶ月で30である。これまでは、「アラサー」と言いつつも追いかける側であった。今後は追いかけられる側になるのだ。そろそろチャレンジしてもいいのではないかと思った。