2013年9月13日金曜日

エンジニアのジレンマ

技術は何を作ればいいかは教えてくれない。技術は如何に作ればよいかを教えるのみである。世界で最も優れたエンジニアとは、何を作ればいいか教えてくれれば何でも作ってみせると約束する者である。

優れた技術を持つはずのエンジニアが、精巧なゴミを作り続ける理由はここにある。今日のゴミはWebインタフェースを持ち、明日はAndroidアプリとなる。だが、どんなにキラキラかがやいていようと、どんなにフワフワしたおまけが付いていようと、ゴミはゴミである。

皮肉なことに、優秀なエンジニアは、自分の作っているものがゴミだと知っている。単に、ゴミ以外に何を作ればいいか知らないのだ。エンジニアのジレンマである。

技術とは如何に作るかについての知識である。知識とは形式化され体系化され教育によって学ぶことができるものである。技術と教育システムの発達した現代においては、教育によって優秀なエンジニアを育てることができるようになった。

現代に欠けているのは、何を作るかについての知識である。その知識を学んでさえいれば、系統的プロセスによって何を作ればいいか発見できるというようなものが必要とされている。そのような知識を手にすれば、エンジニアのジレンマを解決できるはずである。

MOT(Management of Technology)と呼ばれているものがそうかもしれない。少なくともそういうものを目指しているのだろう。しかし、現時点では、自信を持ってそうであると言うことはできない。MOTにはまだ実績が乏しい。

知識に頼ることができないということは、現場のエンジニアが自分で考えるしかないといいうことである。経験から学ぶしかないということである。

古代ギリシアのアルキメデスは、まさに典型的エンジニアだった。彼は、支点さえ与えられれば地球をも持ち上げてみせると約束した。だが、結局アルキメデスが地球を持ち上げることはなかった。アルキメデスはどこに支点を置けばいいか知らなかった。

技術とはてこの原理であり、何を作るかということはてこの支点である。支点なくしては、意味ある作用を及ぼすことはできない。現代のアルキメデスは、てこの原理よりはるかに進んだ技術を持ちつつも、支点を知らないがために本当に意味あるものを生み出せないでいる。

優秀なエンジニアは如何に作ればいいか知っている。しかし、エンジニアの評価は、知識の量によって計られるものではない。どれだけ価値あるものを生み出したかによって計られる。エンジニアとは社会を豊かにする存在であるはずだ。

エンジニアは技術を学ぶことに満足してはいけない。技術を学ぶと同時に、どこに支点を置けばいいか考えなければならない。おそらく、アルキメデスはどこに支点を置けば地球を持ち上げることができるか考えたのではないか。実験もしたかもしれない。良い結果は残せなかった。しかし、アルキメデスを笑うことはできない。